祖母のこと

‘The eyes of my grandmother’ – 祖母の眼

私の父方の祖母の口癖は、

`騙すより騙される方がいい` だった。

もうどのくらい小さい時から言われ続けていたか覚えてない程だから、かなり何回も聞かされていたと思う。が、あの元旦那の国に住みだし、踏んだり蹴ったりな状況に陥ると、

`おばあちゃん、そんなこと言ったって、どう考えても、状況は苦しんだけど?`

と思わず、空を仰ぎたくなった。

私の祖母は、夢予言のようなことができた。決して表立って看板をあげていたわけではないけれど。口伝えで相談に来る人々が、誰かかれかいつも祖母の家にいる感じだった。祖母がいつも座っていたベランダのそばには、そうしたお客さん用の座布団があり、私が祖母の家を尋ねる時には、覚えている限り5歳だった私にでさえ、まるで一人前の大人扱いで、その座布団に座るように目で合図された。

私は、正直な話、祖母を尊敬しつつ、子供ながらに`怖い`イメージも同時にあった。祖母の真正面にある、その座布団に座るのがなぜだか苦手だったのだ。たぶん、子供ながらに祖母が既に何でも知っている、ような感覚に陥っていたのだと思う。

私がその座布団に座ると、まず祖母は、私の眼をただじっと見つめた。どのくらいの長い間見つめられていたかは、もう覚えていないが、そうして祖母に見つめられると、自然にまるで教会の告白室にいるかのように、

`今週も弟をいじめました。ごめんなさい。`

`あの腕白坊主の男の子は気に入らないので、野球の仲間に

入れませんでした。ごめんなさい。`

`毛虫を間違って踏んづけました。ごめんなさい。`

と私は、思い浮かぶ限りの`悪行`を認め、おばあちゃんに謝罪していた。

(今、考えると、笑える部分もあるけど。。)

その時は、子供ながら必死だった。

祖母は、決して私を責めなかった。私が思い浮かぶ限り、最後にはニコニコしていた。今は、思う。そうやって、祖母は、眼をつかい、私の心を清掃してくれていたんだな、と。

が。

`騙すより騙される方がいい。`

 いやいや、どっちもいやだ。

中庸が一番だなあ、と最近思う。バランス。振り子が浮かぶ。振り子の幅が、こっちかあっちか、という結論に達しない、中立的なポジションに自分がいればいいのかなあ、と。

 人の表面的な言葉に左右されない自分でいること。心の眼で感じること。

私は、自分を信じることってこういうことかな。と再確認した。

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‘The hands of my grandmother’ – 祖母の手









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